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出口なし。 – カフェ・ヒラカワ店主軽薄

本音を言えば、経済政策が問題なのではない。
どんな顔をしたどんなやつがそれを発案し実施しようとしているのかが問題なのだと俺は思っている。
顔ってあんた、全然論理的じゃないねと言われるかもしれない。
だけどね、万能で、万全な政策など在り得ない。
どこかで、誰かがやり繰りし、やり繰りできないものと何とか折り合いをつけながら政策を実行する。

現場とはそういうものであり、一進一退を繰り返しながら 最悪の事態を回避しながら進めていくのがあらゆるマネジメントの要諦でしょ。
だから誰が、どのような見識と意図を持ってその政策を打ち出し、実行しようとしているのかが問題なのである。
経済政策の根本には公正さが必要だってことだ。
公正さとは何か。
不正な蓄財をしないとか、虚偽の申告をしないというような ことを言いたいのではない。
それを止めろといったところで、どんな時代にも、機縁と必要があれば、 誰だって不正に誘惑されることを止めることはできない。
公正さとはもっと別の概念であり、実行可能なものだ。
俺は『株式会社という病』のなかで、それをこう書いた。
「お金とは本来、商品の前では万能であるが、もともと商品ではない人間の 精神的な領域、つまりは矜持、義理や人情、友愛や意地の前では無力であるべきなのだ」
市場万能主義、経済ダーウィニズムを遂行しようとするものたちには、公正さへの目配りが根本的に欠如していると俺は思っているのだ。
今日の資源価格の高騰、格差の拡大、金銭フェテシズムの横行、 これがグローバル資本主義、市場万能主義の結末である。

出口なし。 – カフェ・ヒラカワ店主軽薄 – 楽天ブログ(Blog)

2008年9月9日 火曜日

「著者様」と呼ばれて 内田樹の研究室

著作物を有料頒布するのは、著作物が「商品」であるからではない。
有料頒布した方が、無料頒布するよりも、著作物の質的向上のためにも、流通や保存のためにも、あるいは著作者へのインセンティヴのためにも、「利益が大きい」と判断されたからこそ、「あたかも商品であるかのような仮象」をまとって存在しているのである。
「著者様」と呼ばれて 内田樹の研究室

2008年8月7日 木曜日

多様性の対極にあるもの。 – カフェ・ヒラカワ店主軽薄

あたりまえのことだが、世の中にはお金に換算され得ないが、 ひとりひとりの人間にとってはかけがえのないものがたくさんある。

多様性ということばがよく言われるが、多様性の本当の意味は、 ビジネスや、文化の様態の種類が多様だということではなく、 それらを計測する尺度が複数あることであり、自らが採用したくない尺度に対して 敬意を払い、共存してゆくことであると俺は思う。

卑近な例で恐縮だが、(いや多様性はまさに卑近なところに存在している) 喫煙の習慣を、医療費や健康といった尺度から糾弾することも、 貧乏を、労働意欲の欠如や能力の結果であるといって貶めることも、 一元的な価値観から生まれてきた合理性信仰のように俺には思える。

貧の意地、貧への共感、そして貧への尊敬といったものは、 そういった多様性の中でも、もっとも捻りの利いた、重要なもののひとつである。

貧への尊敬は、欲望の放埒を押さえ、生活の規矩を教え、驕矜を戒め、 社会を平穏に導く効果がある。 ようするに、くだらないやつが威張らない社会にとって必要な価値観なのである。
多様性の対極にあるもの。 – カフェ・ヒラカワ店主軽薄 – 楽天ブログ(Blog)

2008年8月6日 水曜日

ちょっと思ったこと

もう一つのパスは、外に対して積極的にアピールはせず、明確な敵も設定せず、 技術を磨き、いつか誰かの目に止まる日を待つ方法である。
小野和俊のブログ:IT業界戦場論

ここからおいらの雑感。

ものづくりで「良いものをつくる技術」を高めて行くには、自社で研鑽を積む方向と、日頃おつき合いしている相手から持ち込まれる「ちょっと無理めな仕事」をやり遂げて行く方向と両方あると思う。

どちらか片方だけでは多分、うまく行かないんじゃないかと思う。

普段から自社の技術を高めていないと、「ちょっと無理めな仕事」が来た時に突破口が見つからずに終わってしまうだろうし…
逆に、自分たちだけで内に籠ってやっていると、気がついたら全然必要とされない、もしかすると趣味にもならないところに行きつくまで気付かないかも(笑)

結果的に世界中でそこしかできない仕事をする会社さんも、少しずついろんなところから持ち込まれる仕事をきっちりやって行くなかで、技術も上がり、「あそこに持って行けばなんとかしてくれる」という評価もいただくようになって、そのサイクルで転がって行くうちに、世界オンリーワンの高みに到達することができたんじゃないのかな、と思う。

うちの母は印刷会社の現役の技術屋さんだった三十年前、製薬会社のオートメーション用の箱の設計をやってたらしい。
病院に納品される薬って、間違いがあると命に関わるものだから、1回開けると開けたことが明確に分かる構造になっていないとだめで、変な隙間もあってはだめ、しかも全自動のラインに乗せられるように(つまり既存の梱包用産業ロボットに対応しているのが最低条件)なっていないとだめ、なんていう結構シビアな条件で箱を作ってた。

文字通り0.01ミリ単位で箱を作る仕事で、自分と上司とで考えた箱の設計書を持って製薬会社のプレゼンに参加して、実用新案とか特許とか取って、産業大臣賞なんかも貰ってたそうな。

そうすると、営業さんを通じて、製薬以外の会社からも、箱の設計を持ち込まれたりしたらしい。
例えば、駄菓子屋さんにお菓子を納める卸売屋さんから、上半分を簡単に切り取ってそのまま陳列できる箱を依頼されたり、化粧品のメーカーから変わった開け方のパッケージを頼まれたり。

そういうのが逆にまたオートメーション用の箱を作る時のヒントになったりするんだそうで。
なかなか良いサイクルだと思った。
日本の技術力って、そういう風にそれぞれの会社がちょっとづつ頑張って、レベルが上がってきたんじゃないのかな〜と思う。

そういうものづくりって、“あいてぃ”の企業には通用しないのかな。
どうなんだろう?

2008年8月5日 火曜日

言葉の射程。 – カフェ・ヒラカワ店主軽薄

「経営の問題、あるいはビジネス上の問題とは、 利潤の確保という現実的、即物的な目標達成のための処方箋を書き、 それを実行してゆくことで解決されるべき問題である。

ビジネスとはすぐれて、パフォーマティブ(遂行的)な課題なのである。

だからこそ、効率が重視され、競争優位が戦略に組み込まれる。

同時にそれは、人間の諸活動のうちでは限定的なものでもある。」
言葉の射程。 – カフェ・ヒラカワ店主軽薄 – 楽天ブログ(Blog)

2008年4月19日 土曜日