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たけ、金谷さん、ありがとう。

連休が3日あって、この間に二者択一をなんとかするぞ!と思った。
金・土と考えるも、変わらず。

たまたま、難波の高島屋でやっていたオードリー・ヘップバーン展のタダ券をもらったので、前の会社の同期・たけを誘い出して一緒に見に行った。
一通り展示も見て、近況報告などしつつ世間話をしゃべくっている間も、1か2か、AかBか、赤か黒か…と頭の中はふらふら。

時に、たけが「なんで前の会社辞めたん」と聞いた。
なんでかな、と思うと色々な理由が脳裏に浮かぶけど、結局はお客さんをブラックリストに載せて売上を作るのが気持ち悪かったから。
同時に、それを嫌だと思っていながら、言うことを聞いて仕事をしていた自分が気持ち悪かったから。
要約するとそういうこと。

そこで、なんだか「はっ!?」とした。
嫌だと思いながらも、辞めるのも怖い、それが辞める!と決める前の心境で、今とちょっと似ている。
辞めたいと思っているくせに怖い、デザインやりたいと思っているくせに怖い。

普通の仕事の方が楽、という発想からして「逃げ」が入っている。
もう心は決まっているくせに、不安なことを見つけて逃げたい!とふらふらしているだけ。
完全に「決めて」しまうと逃げられなくなるのから、それが怖いだけなんだな…。

なんて優柔不断。そして逃げ体質。我ながら子供で嫌になる。
嫌になっている場合ではないぞ。やるならやる、と言わないと。
もう25なんだから態度をはっきりせねば…。

そんなことを考えて今朝仕事にきた。
原稿のプリントを出す傍ら金谷さんのコメントを見た。
ホントいつもありがとうございます。わたしはデザインやりたいです。
というか、本当はデザイン事務所の営業担当をやりたいんです。

はぁー、すっきりした。

2005年2月14日 月曜日

進路指導が欲しいっす2

今後どうするか考えようと、最初5項目ほど書き出した進路。
そこから2項目まで絞り込んだものの、二者択一になるとどうも無理。決められない。

  1. 適当な職を求めて就活する
  2. 父の後継ぎとして修行させてもらう

どっちが楽かといえば、間違いなく1だけど、長ーい人生、どちらがやり甲斐があるかといえば2だと思う。
人にあれこれ言われて働くのはどうも苦手。
できなくはないけど、始終イライラしながら生きていくことになる。

もっとこうしたほうが効率良いのに、とかこんな商売の仕方はどうなん、とか思いながら仕事するのって正直ツラい。
特に後の方は営業時代に散々悩んだから、商売の仁義に反するんじゃないかと思いながら仕事することに、嫌悪感を感じる度合いはかなり高い。

その反面、父の仕事を習う=デザイン屋を継ぐ、ということ。
誰かに雇われている時は、背負わなくていいものがたくさんある。
どんなに業績が悪くても、社員なら給料がもらえるし法律で保護される。
自分でやりだしたら、仕事を取らなくちゃいけないし、今の時期なら税金関係の手続きもあるし、責任があるし…。

ヽ(`Д´)ノおぎょー!(寄声を発してみる。ちょっとスッキリした)

それに、私は今まで一つもデザインの勉強をしたことがない。
絵を描くのが上手いわけでもない。

はっきり言って絵を描くのはキライだ。

小学校低学年の頃に、上手くかけた絵を貼りだしてもらったことがあった。
同じ学年で絵が上手い子の隣りに貼ってもらえたので、私自身はちょっと得意だった。
自宅に持って帰ると、両親が揃って品評会を始め、デッサンがどうの、色がどうのとアドバイスをしてくれた上、隣りの絵との比較までしてくれた。
父はもちろん商業デザイナーだし、母は結婚するまで工業デザイナーだった。
生まれてこのかた両親の「上手に描けたねー」的な言葉はない。
もしあったとしても、他のアドバイスが多すぎて記憶に残らなかった。

要するに根に持っているだけなのだが、絵についてアドバイスされるのがウザくて、小さい頃は大好きだった「お絵かき」が大嫌いになった。
それ以来、「見るのは好き、描くのは嫌い」を貫いてきた。

そんな私がデザイン修行したところで、ロクなもんにならないのではないかと思う。
今仕事をしているデザイナーや、デザイナーになりたいと美術系の学校に行っている子は、小さい頃から絵が好き&上手でその道を目指しているわけで。
私が父の仕事のクオリティをちゃんと受け継げなかったら、今のクライアントは別のデザイナーに仕事をまわすだろう。そうなったら最低。

それに、デザインより企画を考える方が好きだ。
それは、今こういう技術があるから、こういう風にそれを使ってこういうものを作ったら良いんじゃないか、とかこういうものを作ってこういう風に売ったら面白いんじゃないか、とかいうもので、仕事を受注して作るより、提案して作る仕事になる。

なんだか「普通に就職口探した方が楽やで」と「もっと面白い仕事自分で作ろうや」の間を堂々巡りしているような気がする。
もうこの堂々巡りが頭の中で数日間続いている。
おまけに悲観的なファクターでしか選択肢を考えられない。これは間違いなく煮詰まっている。
段々訳が分からなくなってきた。誰か私に進路指導してくれーい。

2005年2月10日 木曜日

進路指導が欲しいっす

今度の15日で今の仕事場を辞める。
一年近くパートさせてもらったので、私が作った仕事もあって、引継ぎに1週間かかった。

もともと、父の仕事でお世話になっている出版社の人が、「今ちょっと忙しくて、パートさんが欲しいんだけど、パソコンが使えて、ある程度文章が書けて、ぷらぷらしている人はいない?」と父に聞いてきたのが発端で、条件にぴったりだった私がお世話になることになった。
ちょうどその頃は「引きこもりも飽きてきたし、お金もないし、バイト探すかなぁ」と思い始めていたので、リハビリにはちょうど良かった。

はっきり言って、正社員で営業はしばらくやりたくねーと思っていたので、編集の手伝いのバイトはのんびりしていてとてもよかった。
アンケートの集計をしたり、クロスワードパズルを作ったり、短い記事を書いたり、事務所の掃除をしたり。
暇な時はニュースサイトみたり、みんなでお土産のおやつを食べたり。
こんなにのんびりしてて大丈夫なのかなぁと思っていたら、案の定仕事が少なくなってきたので、15日までというお話し。
平たく言えばリストラになるのかしら?

でも、リハビリでは物足りなくなってきたのも事実。
次どうするか考えないといけないのもあるし。

2005年2月9日 水曜日

東瀛論説より

見始めると小1時間経ってしまうサイト、東瀛論説
普段使わない頭のパーツを使う所為か、見た後はひたすら「ぼー」としてしまう。
金谷さんは年頭から読書コーナーをブログに変えていた。

ここから引用

明治初年の岩倉使節団の段階においては近代国家としての日本が、アメリカ・イギリス・フランスそしてプロシアのような大国主義を取るか、あるいはスイス・オランダのような小国主義を取るかは、まだ「未発の可能性」としての選択肢にとどまっていた。

そうなのかー。
「もし」は歴史ではありえない、はもう十分手垢がついた言い回しだけど、想像するのは楽しい。

当時のえらい人は、ロシアが南下政策を進めてて、そのうち日本も獲りにくるよ!という強迫観念があって、うちも強くならなきゃ植民地にされちゃうよ!って思ってたらしい(直接聞いたことはないから本当かどうかは知らない)けど、うちもスイスみたいにしようよ、っていうことになってたらどうなってたのかな、と思う。

自衛隊が普通の軍隊で、帝国議会の時代からあまり変わりばえしないスタイルで、憲法は大日本帝国憲法っぽいもので・・・あれこれあれこれ。

・・・ビミョーやわ。
多分、ブッシュのおいちゃんが「そのやり方圧政ですから!・・・残念!」って標的にするのは中東じゃなくって日本。うひゃ。

私は今の日本の方が好きだな・・・。

2005年2月2日 水曜日